狂愛の果て

行き場を失った感情の掃き溜め

THE PINBALLSへ捧ぐ

 THE PINBALLSとは、宇宙で一番かっこいいロックバンドである。少なくとも私の中では。荒々しいガレージロックサウンドに御伽噺のような幻想的で美しい歌詞がのっている唯一無二のバンドだ。彼らは2006年に結成され、2017年にメジャーデビュー。そして、今日2021年11月24日に活動を休止する。

 

 

 私がTHE PINBALLSを知ったのは17歳の秋だった。フォロワーが熱心に布教活動をしているのを横目で見ていて、頑張ってるなーと思っていた。興味はそれほど湧かなかった。当時は彼らのことをおしゃれなジャズバンドだと思っていたので、ロック一辺倒だった私はなかなか聴こうとは思えなかったのだ。だがある日突然、本当に突然、聴いてみようかなと思ったのである。これを都合良く解釈するならば運命だ。手始めにフォロワーが熱心に布教していた「片目のウィリー」を聴いた。


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 お洒落なピアノの音やサックスの音色が流れてくるとばかり思っていたが、耳に飛び込んできたのは荒々しく、どこか切ないギターの音だった。ジャズバンドではなくロックバンドであることに少し驚いたが、良いなと思った。特に爽やかで泥臭く、どこか胸をついてくるギターの音が良かった。歌声もロックで良い。襟付きシャツやスーツといったフォーマルな格好でロックを鳴らしているのもかっこいい。だけど、ラスサビの盛り上がりに欠けるなとも思った。音楽のことなど何一つ知らないくせに何を上から目線に話しているのだろうこいつは。

 少し物足りないと思ったがそれ以上に良いポイントが多かった。これなら他の曲も期待できるかもしれない。そう思い、関連動画に上がっていた「蝙蝠と聖レオンハルト」を再生した。


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衝撃だった。心臓をわしづかみにされた。入りのドラムの音から最後のギターの音まで全てが好みだった。今まで生きてきて最初の一音から大好きになった曲は片手で数えられるほどしかない。そもそもそんな曲に出会えること自体奇跡だった。こんなにかっこいいバンドがこの世に存在していただと!?と興奮しながら他の曲のMVを見あさった。どの曲も良かった。最初の頃文句をつけていた「片目のウィリー」も聴けば聴くほど、あれで完成されているのだと思うようになった。MV以外の曲も聴きたくなった。THE PINBALLSのアルバムはレンタル流通していなかったので、サブスクを使い始めた。登校途中、家事を手伝っている間、車に乗っているとき、音楽を聴ける時間全てをTHE PINBALLSに費やした。聴けば聴くほど彼らにのめり込んでいった。彼らの音楽にはそうさせるだけの魅力があった。サブスクだけでは飽き足らず、アルバムも揃えはじめた。歌詞カードを眺めながら聴くと良さが倍増する気がした。どこにも置いてない1st、2ndアルバムを集めるのに必死になった。

 冬の初め頃にはもうすっかり彼らのファンになっていた。その頃、彼らのメジャー初のフルアルバム「時の肋骨」が発売された。ファンになって初めてのアルバム。トレイラーが公開されたときから高揚感が半端なく期待値が高かったが、発売されたアルバムはやはり良かった。アルバム一枚にここまで興奮したのは久しぶりの感覚だった。歌詞カード柄のポストカード1枚のためにわざわざタワレコに行ったことを今でも覚えている。そこからは彼らの新譜が出るたびに速攻で予約し、MVを見て曲の世界観を楽しんだり、新曲を聴いて感動に震えたり、ライブを待ち遠しく思う日々だった。

 

 私が初めて行ったTHE PINBALLSのライブは、「時の肋骨」のリリースワンマンツアーである、「end of the days tour」だった。ビギナーズラックなのか整番は1桁だった。あれほど良い整番後にも先にも引けやしないだろう。良整番のおかげでライブは最前で見れた。ゆっくりとステージ上に現れる4人。ライトに照らされていてどこか神々しかった。豪快にドラムを叩く石原さん、歌を口ずさみながら流れるようにギターを弾く中屋さん、アンプに片足を乗せながらベースを弾く森下さん。そして、まっすぐに前だけ見つめて歌う古川さん。すぐに思い出せるぐらい、あのライブは脳裏に焼き付いて離れない。とにかく全員かっこよくて、音源よりも何倍も魅力があってTHE PINBALLSはとんでもなく力のあるバンドなのだと確信した日だった。人生で最も記憶に残っているライブはどれですかと聞かれたら、間違いなくこのライブだと答える。

 

 

 THE PINBALLSの音に魅了されてから3年ほど経つが、彼らの最大の魅力はなんといっても無骨なロックサウンドに幻想的な歌詞がのっているところだろう。THE PINBALLSが他のロックバンドと一線を画しているのはここだと私は思っている。

 彼らの音楽ジャンルはいわゆるガレージロックと呼ばれるもの。私は音楽に詳しくないのでジャンルとか言われてもさっぱりだが、かっこいいことだけは分かる。常にギターがじゃんじゃん鳴っていて、ベースがうねっていて、ドラムが暴れている。正真正銘のロックだ。彼らの音楽は聴いている人の感情を増幅させる力強い音がするのだ。片目のウィリー、蝙蝠と聖レオンハルト、ブロードウェイなど彼らの曲のほとんどが荒々しく無骨なロックサウンドに仕上がっている。一方で、花いづる森、樫の木島の夜の唄、ニューイングランドの王たちなどバラードも得意としている。THE PINBALLSの真骨頂はバラードにあると言っても過言ではない。ゆったりとしたバラードでは、メロディラインの美しさがより際立つ。THE PINBALLSは、荒々しいだけじゃない繊細で優しい音も奏でられるロックバンドなのだ。

 サウンドがロックバンド然としているのに対して、歌詞は非常に幻想的で美しい。このギャップこそがTHE PINBALLSの魅力だ。彼らがすごいのは、一見相反して見えるこの二つを殺し合わせる事なく、一つに溶け合わせて唯一無二のサウンドを作り出しているところ。これを可能にしているのは、THE PINBALLSが今の四人だからだと私は思っている。古川貴之という才能が生み出す世界を、中屋智裕、森下拓貴、石原天が具体化する。古川さん特有の表現を音に表す。「農村の人たちが踊っているようなリズムで叩いて」と言われて素直にドラムを叩けるような人がこの世に何人存在しているのだろうか。これができるのは世界であの三人だけ。THE PINBALLSはあの四人じゃないと意味がない。誰が欠けてもあのサウンドは作り出せない。

 作曲は全員で作り上げているイメージが強いが、作詞は古川さんの独壇場である。曲調以上に彼の世界観がそのまま反映されている。私は彼の世界が大好きだ。どういう風に育ったらあのような美しい言葉を紡げるようになるのか皆目見当がつかない。本当に同じ人間なのだろうか。同じ人間であることが烏滸がましく思える。どうしたら、「気むずかし屋の飛行士が すべりおりてひと休みしたくなるような 湖の青で」や「世界中のハチドリの羽根を 集めたような君の唄が 僕の何かを壊して 解き放った自由が うるさくて眠れない」といった言葉が生み出されるのだろう。どうしたらこんなにも美しい言葉を描くことができるのだろう。仮に彼とおなじような環境で育ったとしても、あのような言葉を紡げるようになるとは到底思えない。彼の才能は間違いなくTHE PINBALLSを唯一無二たるものたらしめている。

 

 ギャップのあるサウンドと歌詞の親和性以外にTHE PINBALLSの曲を唯一無二たらしめているものがある。ボーカル古川貴之の歌声だ。彼の歌声は本当に素晴らしい。私は彼の歌声に心酔している。ロックバンドで歌うためだけに創られたのではないかと思うほど、素晴らしい歌声だ。私も彼のような声だったらいいのにと何度願ったことだろうか。

 正直、歌のうまさだけで言ったらおそらく普通。しかし、声の質がとんでもなく良い。少し掠れ気味だけど曲に対する情熱と愛情が込められている声。ときおり泣いているかのように揺れる声。彼が歌うことによって初めてTHE PINBALLSの曲は完成されると言っても過言ではない。彼の歌声には魂がやどっている。THE PINBALLSの曲を古川貴之以外の人が歌うと曲の本質が変わってしまう。そのレベルにまで彼の歌声は届いていると私は思う。

 

 

 正直、THE PINBALLSが終わるだなんて思ってもいなかった。いつかは終わりが訪れることは分かってはいるけど、今ではないなと心のどこかで思っていた。いや、願っていた。THE PINBALLSは終わらない、終わるわけがないと。

 活動休止の文面を見た時、信じられなかった。まさに青天の霹靂だった。受け止めきれなくて、うずくまりながらまだ大丈夫だと呟き続けた。解散じゃないからまだ大丈夫だと。何が大丈夫なのかは未だに分からないし、大丈夫だった瞬間なんて一度もなかった。

 一番好きな曲、一度しか行けなかったライブの思い出、THE PINBALLSの好きなところ。色々思い返していた。涙が溢れてきた。どうして活動休止してしまうのか。メンバー仲が悪くなってしまったのか。経済的理由?事務所との関係悪化?色々考えた。1つ思いつくたびに、Players radioではいつも通り和気藹々としていたからメンバー仲が悪くなったわけではないはず。「ZERO TAKES」だって活動休止前最後のアルバムとして出す予定じゃなかったはず。元々予定されていたなら、メモリアルブックの内容は終わりを予感させるものになっていたはずだから。など考えて打ち消した。楽しい思い出から始まる思索はいつも現状への疑問と後悔へ収束していく。もっとライブに行っていれば。もっとTHE PINBALLSを広めていれば。もっと曲を聴いていれば。THE PINBALLSは活動休止しなかったのか。どうして今なんだ。どうして。何度もそう思った。私がどれだけ頑張ったところできっと事実は変わらなかった。頑張ったら変わると思うことすら烏滸がましいことだけど、そう思わずにはいられなかった。

 

 行き過ぎた後悔は常に怒りへと変わった。彼らにこの選択肢をとらせてしまった世界に腹が立つ。その世界には自分がいるので自分にも腹が立つ。どうしようもない。もっと大きくなれるバンドだった。良い曲しかなかった。着実にファンも増えていた。「ZERO TAKES」は、一部店舗では売り切れが出るほどだった。ラストライブの会場はTHE PINBALLS史上もっとも規模が大きいZepp DiverCity Tokyoだ。ここまで来ていたのに。皆が良さに気づきはじめていたのに。本当にどうして今なんだ?

 そもそもあの発表の仕方は何だ?金曜日の夜とかいう人が1番幸せである時間帯に不幸の塊みたいな知らせ出しやがってふざけんな。ちょっとでもショックを和らげようとでも思ったのか?金曜日の夜ぐらいの幸福量ではかき消せませんバーカ。これから週休完全5日制になりますぐらいの幸福量じゃないと無理です。というか本当に活動休止なのか。あれを読む限り解散にしか思えなかったが。THE PINBALLSファンじゃない友達にも読んでもらったけど、活動休止というより解散に見えるねって言ってたぞ。ファンじゃない人から見てもそう見えてるのにファンが見たらどう思うか分かってんだろうな?公式ツイッターの態度も気にくわない。何が「皆様に寂しい思いをさせることになってしまい、申し訳ございません」だよ。そんなこと言うぐらいなら活動休止なんかするなよ。何でだよ。良い方向に向かってきてたじゃん。ライブのキャパは増えてきてたし、新譜の売り上げも良かった。MVの再生回数も伸びてた。ファンクラブもできた。なのに何で?調子が良いように思ってたのは私だけだったの?少しずつ世界の関心がTHE PINBALLSに向いてきたように思ってたのも私だけだったのか?なんで今なんだよ。というか謝るなよ。おまえらはロックバンドなんだから、活動休止するけどよろしくぐらいの軽いノリで良いんだよ。いちいち謝らないでほしい。謝るぐらいなら活動休止するなよ。

 

 

 きっとTHE PINBALLSは誠実すぎた。彼らはロックバンドとしての傲岸不遜な魂を持っていなかったのだ。THE PINBALLSが解散の危機を迎えるのは今回だけではなく、メジャーデビュー前にも解散の話が出たそうだ。前回と言い今回と言い、なぜこれからという時に解散するか否かという話が出るのか。普通の人間ならこのまま突っ走るタイミングでなぜ止まってしまうのか。それは彼らが誠実すぎたから。バンドとしての在り方に誠実すぎたから。ロックバンドなんてものは俺らが世界で一番かっこいいから、外野は黙ってついてこいとか俺は世界一かっこいいから何しても良いとか考えてるのだ。それくらい傲慢で恐れ知らずなのが当たり前なのだ。休止する時もファンに何の知らせもなく突然止まってしまってもいいはずなのに。わざわざ文章出してラストライブまでして。最後の最後までファンに向き合って。そういうところが大好きだけど、今回ばかりは辛くなった。

 

 

 上記のように私は聞き分けの悪い面倒くさいファンなので、彼らの活動休止をすぐには受け入れられなかった。ラストライブ当日の今でも受け入れられていない。今後一生受け入れられる日は来ないのかもしれない。ただTHE PINBALLSがいない状態に慣れるだけ。本音を言って許されるのならば、THE PINBALLSには活動休止してほしくなかった。まだまだ新曲を聴きたかった。ライブに行きたかった。ずっとロックンロールを続けて欲しかった。だが、彼らも相当悩んでこの決断を下したのだろう。メンバーのコメントからも伝わってくる。THE PINBALLSが悩みに悩み抜いて下した決断を否定することは、私にはできない。できるはずがない。

 正直、活動休止を選んでくれた時点で御の字なのだ。本当に嫌になったのなら活動休止ではなくて解散を選んでいたはず。それでも、活動休止にしたのはメンバーの中にまだ4人で音楽を続けたいという気持ちが残っているからなのではないかと、希望はまだ残っているのだとそう思い込むようにしている。自己欺瞞を繰り返している。

 

 

 この前英語の授業があった。テーマは、人間の寿命。「あなたはいつまで生きたいですか?」という質問に対して、皆が100歳までとか孫の顔見るまでとか順当な答えをしているのを聞きながら、私の心に浮かんだ答えは11月24日までだった。私の大好きなバンドが活動休止してしまうからです。と言ったら、なんてバンド?と聞かれた。THE PINBALLSだと答えた。誰も知らなかった。皆の顔にそんなくだらない理由かと書いてあった。自分でも思ってる。たかが一つのバンドが活動休止するぐらいで、人生を終わらせてしまっても良いと思うなんて馬鹿げていると。それでも、そんな馬鹿げたことを本気で思ってしまうほど私はTHE PINBALLSが大好きだ。THE PINBALLSが生き甲斐だった。目的だった。THE PINBALLSの曲を聴くといつでもテンションが上がった。大事な試験の前や嫌な事があった時に聴くと気分が落ち着いた。ツイッターでは、THE PINBALLS好きのフォロワーさんたちと曲の解釈についてたくさん話せた。THE PINBALLSが接点となって仲良くなれた人もいた。本当にTHE PINBALLSは私にたくさんのものを与えてくれた。私はTHE PINBALLSにたくさん救われた。だから、こんなことなら最初からやらない方がよかっただなんて口が裂けても言わないでほしい。最初からやらない方が良かっただなんてこと絶対に無い。現に私の人生はTHE PINBALLSに出会ってから確実に楽しくなった。THE PINBALLSが存在する価値も理由もあった。今後 THE PINBALLS以上に好きになれるバンドは現れないかもしれない。そう思えるほど大好きだ。THE PINBALLSは私の人生の光だった。希望だった。明日からどうやって生きていくのかもう分からないのだ。活動休止を前向きに捉えられる日など絶対に来ない。しかし、彼らの選択を尊重する。THE PINBALLSを愛しているから。だからといって、受け入れられるわけではないのだけれど。

 

 私の心には穴が空いてしまった。この心に似合うビートはTHE PINBALLSしかない。THE PINBALLSがいなくなるという事実は未だに受け入れられないが、時間は止まってはくれない。だから、受け入れられないまま穴が空いたまま進むしかない。確かに私はTHE PINBALLSの活動休止によって心に割と深い傷を負った。学校の方でありえないぐらいの揉め事が起きていたが、それを見ても何も感じられないほど、成り行きで嫌な仕事を押し付けられても何の感情も湧いてこないほど心が死んでいる。どこで何をしていても歯車が噛み合わない。ずっと。この死んだ心はTHE PINBALLSが活動再開するまで蘇らないのだろうな。それまでこの穴が空いて死んだ心を抱えて生きていこうと思う。

 

 

 また四人で音が鳴らしたくなったら帰ってきてほしい。たとえそんな日がいつまでたっても来なかったとしても、私はいつまでも待っている。今までありがとう。さようなら、愛しきロックバンドTHE PINBALLS。