狂愛の果て

行き場を失った感情の掃き溜め

ポップが全てじゃないのでは?【Catcher In The Relay】

summerday.hatenablog.com

 

 本記事はナツ様主催の企画”Catcher In The Relay”参加記事です。13人の文字書きが『Catcher In The Spy』の楽曲について綴ります。投稿日まで各楽曲担当者が非公開、1曲に複数の担当者がいるなど面白い仕掛けが満載です。是非とも他の参加者の方の記事もお読みになってください。素敵な企画に参加することができて最高でした。以下、本編。

 

 

はじめに

 『Catcher In The Spy』は、ロックバンドUNISON SQUARE GARDENが2014年に発売した彼らの5枚目のアルバムである。つまり、今年で10周年。めでたい。

 『Catcher In The Spy』は、UNISON SQUARE GARDENが作り出したアルバムの中で最もロックンロールに舵を切っている作品。シングル楽曲以外は三人が奏でる音のみで構成されている。4枚目の『CIDER ROAD』とは正反対だ。脳天を突くようなベース音が轟くサイレンインザスパイ、攻撃性の象徴のようなサウンドが響く天国と地獄、思わず体をゆらしてしまうビートにユニゾンらしさ全開の歌詞が合わさるinstantEGOIST。テイストは違えど、全ての曲が攻撃性をはらんでいる。だが、危険なものほど魅力的で近づきたくなるものだ。だからこそ、この5枚目のアルバムは多く人の心を惹きつけて離さないのだろう。

 ロックンロールの模範解答のような『Catcher In The Spy』の中でも一際まっすぐで荒々しいながらも、どこか胸が締め付けられるような一曲、何かが変わりそう。今回はこの曲を紐解いていく。この記事を書くにあたって、小説風にしてみようかとか歌詞の内容には全く触れずに楽曲を表そうかとか色々考えたのだが、結局いつも通りにすることにした。不器用なので、新たなスタイルを確立できないのである。大事件すぎる。だが、私は私のやり方でロックンロールを追求する。そのやり方が正しくなくても。それではいってみよ~。

 

 

気づき

 2020年はロックバンドにとって厳しい年だった。未知のウイルスのせいでライブは軒並み延期、中止になり、音楽を楽しめる空間が無くなった。

「お家をライブハウスにしてしまえばいいのでは?」

その考えは誰から生まれたのだろう。そのアイデアは実現し、夢のようなライブは開催された。ロックバンドを楽しむのに場所は関係ない。当たり前の事実に気づかせてくれたライブだった。

 LIVE (in the) HOUSE2という文字は、色を失った日常に一筋の希望を与えた。MVを再現したカメラワークで幕を開けたそのライブは、私に大きな衝撃を与えた。配信でしかできない演出やアコースティック演奏も驚きではあったが、最も胸を打たれたのは何かが変わりそうだった。正直、何かが変わりそうは好きな楽曲の一つでしかなかった。オリオンをなぞるのように思い入れがあるわけではないし、Invisible Sensationのように一聴したその瞬間から心掴まれたわけでもない。ぼんやりと好きな曲だった。だが、あの日、真っ白なライトに照らされ向き合って演奏する三人を見ていると、言葉にできない感情が胸にこみあげてきたのだ。

「何かが変わりそうな夜だ」

それはこの世に蔓延している閉塞感を打ち破ってくれる響きだった。満足に外出できない現状に対する不満、明日はどうなってしまうのかという不安、日常はもう戻ってこないのではないかという諦め。三人の重なった声はその全てを拭い去ってくれるような希望に満ちあふれていた。あの日から何かが変わりそうは特別な曲になった。

 

 

CIDER ROADとCatcher In The Spy

 かくして、何かが変わりそうは思い入れのある一曲になった。ここからは歌詞を読み解いていきたい。だがその前に、『Catcher In The Spy』について深掘りしたい。そのためには、4枚目のアルバム『CIDER ROAD』との関係性を読み解く必要がある。

 

CIDER ROADは音楽に対するある一点に対しての自分の答えを全部出し切った個人的に危険な傑作だと思っている。
その一点とは「この辺りだったらJ-POP請け負えるんですけど」という具合のことで、世の中に僕の好きなJ-POPが存在するならこういう事だよ、という答えだったように思う。

*1:小生田淵はよく喋る2014年8月より引用 

 

 この言葉から、『CIDER ROAD』は田淵がJ-POP界隈に殴り込む気概で作った一枚だということが読み取れる。確かに、 『CIDER ROAD』に収録されている楽曲は、ピアノや菅弦楽器が使用されポップな仕上がりになっているものが多い。like coffe のおまじないはその最たる例だ。歌詞もUNISON SQUARE GARDENの曲にしては前向きで分かりやすいものが多く、「この辺りだったらJ-POP請け負えるんですけど」という言葉に嘘偽りは全くないのだろう。

 だが、実際には世界は変わらなかった。誰もUNISON SQUARE GARDENにJpopの一端を任せようとはしなかった。

 

CIDER ROAD」で音楽界は土下座しに来なかったし、「春が来てぼくら」が作曲的な意味でどんなに傑作かと騒がれることもなかった。(たしかリリース当時そんなことを冗談半分で息巻いていたのだ)
全て身をもって思い知ったことだ。

*2:小生田淵はよく喋る2018年11月より引用

 

この言葉と先日の武道館公演のMCを聞く限り、『CIDER ROAD』の反響が思いのほかなかったことは、田淵の中でロックバンドを諦めかける一因になったのだろう。この大事件を踏まえたうえで、発売されたアルバムが『Catcher In The Spy』だ。

 前作のポップさを意図的に排除した楽曲構成。そこにはこんな意図があった。

 

CIDER ROADでバンドの印象が終わってしまうと遠足先がそのまま新しい住まいになるみたいな予想を抱かれることになる。
新しい住まいから出したアルバムみたいなものを作ってしまうと我々の通常営業が誤解される恐れがある。
そこで、このアルバムの方向性が決まっていったのは否定できないと思う。
だからCIDER ROADの延長にあるような曲はレコーディング中でも徹底的に排除したし、多少の偏りも重要な要素になると思いラインナップを整えた。
なので以上5枚のアルバムをもってUNISON SQUARE GARDENの通常営業がなんたるかの証明は済ませたつもりである(来年違うこと言ってるかもしんない)

*1:小生田淵はよく喋る2014年8月より引用

 

つまり、ポップだけがUNISON SQUARE GARDENの全てではない。ロックもポップも両方こなせる。音楽の両極端からアプローチを仕掛けられることが、UNISON SQUARE GARDENの最大の武器なのだ。

 

 

Catcher In The Spyにおける何かが変わりそう

 『Catcher In The Spy』に込められた意図を紐解いたうえで、何かが変わりそうを読み解いていく。

 全曲ロックな仕上がりとなっている『Catcher In The Spy』の中でも、一際目立つ正統派ロックンロール。バンドサウンドのかっこよさがとことん詰められた一曲だ。イントロのギターが聞こえてきたきた瞬間、否が応でもぶち上がってしまう。ゴリラになってしまう。ゴリラゴリラ。曲構成もイントロ、Aメロ、Bメロ、サビ、Cメロ、大サビ、アウトロと王道の展開となっていて、興奮してしまうのも無理はない。ゴリラ化は不可抗力だった。

 

 一聴では分からないことに定評があるUNISON SQUARE GARDENだが。この曲はまっすぐな表現が多い。一聴しただけでも、おおよその意味は伝わるのでは無いだろうか。しかし、一聴しただけでは真意を掴むことはできない。なんとなく聴いているだけだと、UNISON SQUARE GARDENにしては珍しく、JPOPで歌われがち(偏見)な表現が使われているように聞こえるのだ。

 

例えば、曲中に何度も出てくるこのフレーズ。

何かが変わりそうな夜だ 流れる星にそっと呟いた

いわゆる、流れ星に願いを込めているシーン。星に祈りを捧げるこの行為は多くの楽曲で歌われてきた。

このフレーズもそうだろう。

一人は好きだけど 孤独が寂しくなっちゃって

窓を開け放した ため息が昇る瞬間を見てた

「一人」と「独り」を並べて意味の違いを強調するこのやり口、めちゃくちゃJPOP(偏見の塊)。

 確かに、JPOPで使われがちな表現は出てくる。一方で、UNISON SQUARE GARDENらしい表現もある。

何かが変わりそうな夜だ 流れる星にそっと呟いた

先ほどと同じフレーズ。矛盾しているじゃないかと思った方、ちょっと待ってほしい。ここで注目するのは、「何かが変わりそう」という表現。タイトルにもなっているフレーズ。「何かが変わる」という確信に満ちた言葉ではなくて、「何かが変わりそう」という予感でもあり祈りでもある言葉。安易に変わると言い切らないところがUNISON SQUARE GARDENらしい。

涙がこぼれそうな夜だ 落としたパズルは闇の中へ

その一瞬を奏でるのに どれだけの犠牲がいるんだ

「落としたパズル」とは、何かを成し遂げるために必要だった努力や才能、いわゆる完成までに必要なピースのことだろうか。それらを見失ってしまい完成に近づけなくて涙をこらえている情景を表しているのか。分かりそうで分からないこの塩梅がUNISON SQUARE GARDENの持ち味だ。

 

これらの一見安易で分かりやすいフレーズを大衆受けの良いポップスにのせるのではなく、純粋なロックンロールにのせて歌っているところが、最高にかっこいい。三人の声が重なる「何かが変わりそうな夜だ」に、何度前を向く力をもらったことだろう。卑近なフレーズをどこか焦燥感のあるロックサウンドに合わせることで、歌詞の意味がより心に響くように感じるのだ。

 

 

CIDER ROADとの関係性における何かが変わりそう

 最後にCIDER ROADと何かが変わりそうについて読み解いてく。先述したとおり、『CIDER ROAD』がJPOP界隈をひっくり返すことができなかったことは田淵に少なからず影響を与えた。この事実を踏まえた上で歌詞全体を見ていこう。

 この曲の登場人物は、主人公(流れる星にそっと呟いている人)と「君」の二人。君は主人公に何かを話しているようだがうまく伝わっていない。そんな君をよそに、主人公は憧れに近づくため必死にもがいている。ギリギリの状態で涙がこぼれそうになった夜もあったが、誰かの声で少し心が軽くなり、再び走り始める。この曲にストーリーを見出すとしたら、このようなものだろうか。

 この二人の関係性はUNISON SQUARE GARDENUNISON SQUARE GARDENを支える人々に置き換えることができそうだ。主人公=UNISON SQUARE GARDEN(田淵)で、君=支える人々。 『CIDER ROAD』でJPOPに一石を投じられることをどこか期待していた田淵。それはあくまでも変えられるという予感であって、事実では無かった。そして先日の武道館MCから、ロックバンドを続けることは相当大変であることが語られている。ロックバンドを続けるための苦悩が 「その一瞬を奏でるのにどれだけの犠牲が居るんだ」「涙がこぼれそうな夜だ ギリギリつながっている夜だ」というフレーズに表れているのではないだろうか。だが、その苦悩は誰かの「一人だけど独りじゃない」という声で少し解消される。その声の主に主人公は気づいていないようだが、誰かとは君のことだろう。どこかのタイミングで、「君」がずっと伝えてきた言葉が伝わったのだ。

 

 もちろん、これは私の勝手な妄想にすぎない。 『CIDER ROAD』と何かが変わりそうは何の関係もないかもしれない。何かが変わりそうは必死に努力する人間の苦悩を描いただけの曲かもしれない。しかし、私は『CIDER ROAD』との関係性をこの曲に見出してしまったのだった。

 

 先日の武道館MCが頭から離れず解釈に影響を及ぼしている。ご了承いただきたい。できるだけフラットな目線で読み解いていきたかったのだが、あのMCを聞いてからUNISON SQUARE GARDENの全ての曲に対する解釈がかなり変わってしまった。それが良いことなのか悪いことなのかはまだ判断がつかない。けれど、ただ一つ言えることは、歌詞に意味はあった。

 

 

終わりに

Catcher In The Spy10周年祝い記事のはずが、半分ぐらい『CIDER ROAD』の話になってしまった。書きたい内容を書くためには必要な部分だったので、仕方ない。私は 『CIDER ROAD』も『Catcher In The Spy』もどちらも大好きです。というか、全部のアルバムが好きです。UNISON SQUARE GARDEN最高〜!!(テンション調整)

 

曲のジャンルに捉われず、作りたいものを作っているUNISON SQUARE GARDEN。このスタンスを作り上げるためにいったいどれだけの努力をしてきたのだろう。ただのファンである私は想像することしかできないけど、そんな彼らの背中をこれからも勝手に追いかけたい。

Catcher In The Spy10周年、UNISON SQUARE GARDEN20周年おめでとうございます。

 

引用元

*1

BLOG | UNISON SQUARE GARDEN - official web site

*2

BLOG | UNISON SQUARE GARDEN - official web site